和歌山県立近代美術館「自宅から美術館へ・田中恒子コレクション展」

田中恒子様
この場を借りてご挨拶申し上げます。
9月29日の朝日新聞夕刊でこの展覧会の美術評を見たときから、
必ず行こうと思い、ようやく訪れることが出来ました。
和歌山は通過したことはあっても町に入ったのは初めてで、もちろ
ん近代美術館は初めて、立派なハコ。そこで一般人の個人コレクシ
ョンの展覧会というので期待度は高く、現代美術だからなあという
不安を持ちつつも、とても楽しみにしていました。
田中先生は国立大学の名誉教授で、だから先生とお呼びしますが、
「ていねいに暮らす」「美しく暮らす」の先生であることを知り、
それだけでも興味は尽きません。
この先生が土日は会場に居てお話できるというので、それも楽しみ
に訪問しました。ちょうどテレビかなにかの取材中で、結局お話を
お聞きすることはできず、でも作品群がとても雄弁に語っているこ
とで満足して帰ることができました。
先生にお聞きしたかったことは2つあって、ひとつは手元におきた
いという思いが、ある数を超えると、当然いつも観られるところに
おいておくことができなくなるのだが、それでもコレクションを続
けられたのはなぜか、ということでした。私の場合でいえば、20
枚ほどの作品を集めたところで、これは切りがない、飾る場所もな
いとあきらめたのですが、先生の場合は、コレクションは所有欲で
はなく預かることだと潔かったからだと納得することとなりました。
だからこの美術館に寄贈もされたんだろうと。
ふたつめは、なぜ現代美術なのかということ。油絵やほかの平面等
の制約にこだわる若手作家もたくさんいるのに、なぜなのかという
疑問。私は現代アートが、大きくて、主張が強くて、なのに言葉で
説明が必要で、現代の空虚とか孤独とかやたら哲学的で、そんなと
ころが嫌いなのです。田中先生も最初はミロの版画を10枚くらい
買われたようで、でもそれとは無関係に現代美術の作品に魅せられ
てその世界にはまっていったらしく、その思いはその作品群を見る
となんとなくわかってきました。ひとつひとつの作品は、現代美術
嫌いの私から見れば正直云って、おもちゃとどう違うのかと云いた
かったり、それがどうしたと思ってしまうものであったりするので
すが、ひととおり観ると全体として、小品が多くあったからでもあ
るのですが、ふわっとした気持ちになる、暮しに寄り添って息づい
ているような気になってくる。たしかに太田三郎氏の作品のように
どきっとするものもあるのですが、全体としては個人的なお宝コレ
クションのようで、じつは田中先生の生活と意見が見えてくるよう
なのでした。
一部の作家を除いてほとんど知らない作家ばかりなのですが、奈良
美智だって1993年の作品を購入しているわけで、まだドイツ留
学中で知る人ぞ知る程度の作家だったのでしょうが、田中先生はこ
んな若手作家を支援されてきたのでしょうか。私にはとうていでき
ることではない、金銭的なことももちろんあるけど私が自分の感性
がないと思っているので、未知の才能を見極められないからです。
この展覧会は、自分を信じて「ていねいに暮らす」ことを、また、
想いということの豊かさを見せてくれて、私を活性化させてくれた
ように思います。
だから、直接お話できませんでしたが、田中先生にありがとうござ
いました、といいたくて手紙の形としました。