小津安二郎「東京物語」再見

世界ベスト4だとかベスト1だとか、な

ぜこの日本的なものが世界中で評価され

るのかと見直す、わたしの小津ブームで

もあるし。1953年作品。

そういう話だった、役年齢は、父70才、

母67才、長男47才、長女44才、次

男(戦死)、三男27才、次女22才、

次男の未亡人28才だそうだ。

父母は尾道で暮らし、次女がまだ嫁入り

前。あとは東京と大阪へ、それぞれの生

活がある、これを親子の断絶とか情がな

いとはいわない。昔見たときは定型的に

そうも思ったような気がするが、自分が

年を重ねて、子供達が自分とその家族を

中心に置くのは当たり前のことであり、

そういうふうに戦後家族の解体が進んで

いったのだろう、そこを戦後はやばやと

見せてくれた映画なんだろうか。

ここでは父母は不平を言わずこのかたち

を受け入れていく、それも幸せなのだと

認めていく。世界が(特にヨーロッパな

のだろうか)評価したのは主張せず受容

するところなんだろうか。

それがいいことなのかはわからない、母

はすべてに主張しないがこれは旧弊であ

るのでそれは横に置き、父は実は庭木い

じりに蘊蓄があるのかもしれない、役人

だったみたいだから地元にネットワーク

があるのかもしれない。そう思えば哀し

い話ではない。問題は老父母の余生の問

題であろう。次男の未亡人も最後に本心

の一部を吐露する、亡夫を忘れる日があ

ると、時間が新しいものを運んでくる。

もちろん、父、笠智衆にだって。

細部に至るまで演出が行き届き、それぞ

れの役者の役どころの輪郭がしっかりし

た丁寧な作品だった。いろんな蘊蓄があ

るんだろうなあ。

ところで、大林の「さびしんぼう」の尾

道は、強くこの尾道インスパイヤにさ

れているのだなと強く感じた。

もう一度書くが、この老親の年齢になっ

て再見しても、やっぱり笠智衆のおじい

さんはと思っている、どっちかといえば

山村聰の目線なのかなと思ってしまうの

はいかがなものか。