墓参とお盆、および宿題

宿題を持ち越したままである。

お盆の前に墓参に行ってきた。

いまのところ、わたしは自分が死んだら

それで終わり、あの世はないと思ってき

た。ところが亡き父母の墓参に行き、お

盆に盆行事をする。死んだら終わりなら

意味はないはず、その単純な矛盾すなわ

ち宿題を抱えているのである。

いまのところ、死んだら終わりだけど、

残った人、思い出等の記憶がある人には

残り火みたいなものが残る、という解釈

だろうか。

一方で、死んだら終わりでなく、死んだ

らあたりまえのように隣りのあの世に行

くと信じること、サンタクロースを信じ

るようにあの世を信じること、それでス

ムーズにいくならそれもあるのかとも最

近は思ったりする。

そういう矛盾を抱え、宿題を持ち越しな

がら、重い腰を上げ墓参に行き、面倒な

禅宗の盆行事をする。

わたしにはまだ父母の残り火があるのだ

ろう、あることでちいさな平安があると

でも言おうか。

宿題は続く(宗教ではない)。