ダルトン・トランボ「ローマの休日」いまさら

赤狩りダルトン・トランボが偽名で脚

本を書いたローマの休日をその視点で見

た、何回目だろう。巨匠ウィリアム・ワ

イラーは抵抗した監督だったし、グレゴ

リー・ペックはリベラルだったし、そう

いう映画だった。

ヘップバーンは自由に発言できない不自

由な立場だったし、真実の口も本心を言

えない象徴的な場面だったし。

ペックは秘密は暴かないし、信頼するこ

とを示すし。でももっとも感心したのは、

わたしは記事にしないが、カメラマンの

君は自分で決めていいと言ったことだ。

君も金を諦めろなんてことはいわないの

だ。友人を信頼していることの証しだ。

わたしは友人を裏切らないし、友人を尊

重する、王女へもカメラマンへも。自由

には、さらに内心の自由にも大きな価値

があること。赤狩りで仲間を売らなかっ

たトランボの内心であろう。

そういうことがこの寓話の背骨となって

いる。表層に表れなくてもいい、ロマン

チックなお伽噺に酔えること、70年も

前の映画から喜びをもらえること。その

なかにトランボの、ワイラーの希望がそ

っとみえるのである。

知らなかった、いまさらだけど。