1964年の依田郁子

小学4年生だった。学校で先生にねだって

授業でオリンピック放映を見ていたことを

思い出す。勝ち負けよりも100か国近い国

が一堂に会す世界の広さ狭さに感じ入る、

未来への希望、明るさを実感したイベント

だった。

だからそれを利用できると思う人たちのこ

とはよくわかる。1936ベルリンの国威高揚

はともかく、1960ローマ(イタリア)1964

東京(日本)、1972ミュンヘン(ドイツ)

と敗戦国が国際舞台に返り咲く政治に乗っ

かったのは確かだろう。

ひとつひとつの勝ち負け、国威高揚、熱狂

にはあまり興味がない、しいて云えば負け

た人に目を向ける。1964に最も興味を引い

たのは依田郁子である、ハードルの選手で

陸上女子でひとり入賞を果たしたが、銅メ

ダルでも取ってもらいたかったとくやしか

った。それはなぜかとずっと思っていたが、

10年くらい前に市川崑東京オリンピック

を再見して(一回目は1965に学校から観に

行った)依田郁子のレースが取り上げられ

ており、ああこれのせいでわたしにより強

い印象をもたらしたのだと合点がいったの

だった。敗者の哀しみは強者(だって世界

で5位なんだ)の喜びと裏表なんだと理解

した。アスリートは感動や夢や勇気を与え

るためにスポーツをしてはいないだろう。

彼らのパフォーマンスをわたしたちがどう

受け取るかはわたしたちの領域である。

依田郁子はたった10歳のわたしにアスリ

ートの喜びと哀しみを教えてくれた。