辻原登の本を中心としたエッセイ集、お
よび昔のこと、父のこと等を思い出すエ
ッセイも含む。
プルーストのことを書いているわけでは
ない、でもむつかしい、博覧強記である、
なんとなく彼の小説のバックボーンを垣
間見ることとなった。
2010年日本映画。
全編をカナダで撮った、もたいまさこ以
外はすべてカナダ人か。母を亡くした三
兄弟(兄弟妹)と言葉がわからない祖母
との家族の交流、再生。もたいまさこは
まったくしゃべらない、二言だけか、見
事というか、楽というか。
タイトルがトイレットというのは内容に
即していないように思える、でもいいか。
ひきこもりの長男がスカートを縫って穿
く、女装とかじゃなく、ただ穿きたかっ
た、ピアノを弾くときに穿きたかったと
言う。閉じていたこころを開く、拓く、
啓く。
モーリー、クール!
と、ここまで書いて、過去記事を検索し
たら、12年前に見ていた、ショックで
ある、まったく覚えていない、かすりも
しなかった。呆然、茫然。
2023年、ヨロキ「ドロステのはてで
僕ら」に続く第2弾映画。
「恋はデジャ・ブ」のバリエーションだ
と思うが、解決のラストがタイムマシン
とはこれはない、それに雪はどうなった。
とは言いながらヨロキのあの雰囲気をぐ
だぐだと楽しむ、楽しみました。
もうすこし短くて一気に解決させた方が
よかったな。前作のほうが好きかな。
というと手に取っていたが、これはちょ
っと距離があった。「むなしさ」という
感情がわたしにはピンとこない、わりと
冷淡に思い悩まないようにしているから
だろう。
わたしにとっては、むなしさよりも、悔
恨、無念、わかりやすく云えば「思い残
す」というものだろう。それらがわたし
の背中を支え前を向かせている。
1964年のフランス・西ドイツ映画。
ミシェル・ルグラン音楽の全編踊らない
ミュージカル(オペラ?)であるが、見
たのは高校1年の学校の体育館だった。
なんだったんだろう「シェルブールの雨
傘」と別の時に「戦艦ポチョムキン」を
見たことだけを覚えている。
はじめて全編会話が歌というのに驚いた
が、ドヌーヴ役が17才だというセリフ
が出てきて、全員がエ~~と大声になっ
たことをよく覚えている。
そしてラストシーンのせつなさ、再会し
た二人のそれぞれの子供が同じ名前だっ
たというのにしびれた、当時は。
記憶以上にシンプルな映画だった。
ミシェル・ルグランを知って、彼のジャ
ズアルバムを1枚買ったのだった。