脱落、そして祈る

信仰とはなにかという疑問をずっと持っ

ているのだが、最相葉月が日本のキリス

ト教信者135人にインタビューをし、

 日本のキリスト者がなにを考えてきたか

を記すノンフィクション「証し」を出版

したのを見つけ、図書館に予約した。

さて受取りに行ったところ、なんと5cm

以上ある重厚な本に驚く、前書きを読み

後書きを読み、本文を数人分読んだとこ

ろで、ああ私にはこの大冊を読み切る希

望はないと、脱落する。

なんらかの理由があったとしてもやっぱ

りなぜ信仰に宗教なのかがわからない、

しかもカトリック、国教会とかの組織へ

行くのかも。わたしには大江健三郎が云

うような信仰を持たない祈りというほう

がわかるように思える。組織に頼らず自

らが直接なにかに祈る、「神」には出会

えないけど、一方通行の祈りにもなにか

意味があるように思える、いまのところ。

だから残念ながら読み通すことができま

せんでした。最後に、ウクライナ侵攻に

おけるロシア正教会の見解のことが記さ

れている、そこには赦しも恵みもない。

そう、思い出した、

ちょっと前にテレビで立花隆の最後のド

キュメンタリを見た。立花は死んだら無

だと言い切った。あの猫ビルの膨大な本

はすべて処分したようだ。そのからっぽ

の書棚の映像を見て、わたしにはそこま

での断念はまだないと思った。それが信

仰はないけど祈ることはするということ

なんだろうか。