辻井喬、上野千鶴子「ポスト消費社会のゆくえ」

ポスト消費社会のゆくえ (文春新書)
西武セゾンの堤清二こと辻井喬は、私の興味ある人物のひとりである。
上野千鶴子は「こわいもの見たさ」の人として、今度は、辻井喬に迫り
まくるというので読むしかなかった。
堤清二のことは、元共産党員という経歴、西武鉄道の堤との異母兄弟の
関係など、読んだりしていたし、その堤清二が一方で辻井喬というペン
ネームで詩人であり小説家であるという、スーパースターぶりに敬服し
ていたのは事実である。
ところがバブルがはじけ、傘下のグループ会社がだめになり、セゾング
ループは壊滅し、堤清二は経営者失格の烙印を押されてしまうわけで、
そのあたりの失敗の研究を上野千鶴子堤清二に直撃するだが、堤清二
は現れず、辻井喬が受けて立つという形が最初から面白い。
結局は、堤清二辻井喬の二面性がすべてをだめにするとともに、個人
としては生き永らえる力となったのだが、その複雑さに、上野千鶴子
論理的に過激に切り込むとところ、辻井喬があっけらかんと非を認める
ところが、ほんとうに面白かった。
付加価値のついたもの、例えばブランド物を買うとはどういうことか、
買わせるとはどういうことかということが、少しわかった気にさせる。