いくつもの夜が

ひさしぶりに葬儀というものに参列して、

死そのものよりも死んだら火葬して無にな

るのだなと再認識した。あたりまえだけど

物理的に無になるのだ、死後たった2、3

日後にはあっけなく。あらためてなんだか

びっくりした。

わたしたちは火葬場で2時間近くひさしぶ

りに会った人たちと世間話でもしながら待

つ。それは健全なことだ。

そのあいだに物理的に無になる、それを見

せられる。でもすぐにああ疲れたやっと食

事かと思う。それも健全なことだ。

ちょっとびっくりしたけど、無になるとい

うことはたいしたことじゃないのだろう。

限りない歴史の営みのなかで繰り返されて

きたのだ。みんなの記憶の中で生きている

というもの言いはよくできた方便である、

それでいいだろう。

疲れた。