盛田隆二「いつの日も泉は湧いている」

いつの日も泉は湧いている
作者は1970年4月に高校入学している
が、69年4月に入学した1年先輩たちの
話を書いた。私も作者と同じ70年4月に
入学し、小説のK高校と同じような闘争が
あった後の入学をして「祭りのあと」の異
様な雰囲気を体験している。先輩たちは口
をつむり多くを語らず、あらかじめ存在し
ていたかのような空虚と倦怠がそこにあっ
た。だから70年の話では小説にならず、
69年の話にしたのだろう。
69年を体験したか70年で遅れてきたか
の違いは大きかったかもしれず、だからこ
の小説は読みたくなかった、でも気にはな
った。村上龍の傑作「69」のような荒唐
無稽仕立てであればよかったが、リアリズ
ム仕立ての正攻法で来たのでなんだか傷口
を触ったような感覚だ。
1年違うだけで、あの頃すでに、私は私の
在り方という自分自身に関心が行っていた
ので、主人公達が発するようなアジテーシ
ョンなり言葉は私の心に響かなかったとい
う体験から、若者の一途さへの共感には結
びつかなかったが、活動家の空回りではな
く、そこから一歩踏み出した小説中では新
生徒会長であり回答をひっぱりだした生徒
達には共感する。また心情的に寄り添いな
がらも立場をとおした教師達のこともわか
る、噛みしめた苦さはいまならよくわかる。
かねてより大学紛争の題材はあれど高校紛
争の話は「69」以外にほとんどないのは
何故だと思っていたので、この作品は敢闘
賞だと思う。それでも私が今もひっかかる
あの空気とは違う、そう一気に空気が変わ
った1970年をぜひ読みたい。